第37話 親身と冷たさ

彼ならきっと、人を確実に殺せる知識があるだろう。
彼なら、仮に懲罰を受けるような事になっても、
なぜかあまりかわいそうという感じがしない。
彼なら、まあそこそこ信頼もできる。
何より、あたしの心が彼だと言った。

「え?」

寺内先生はとまどった。
当然だ。
冗談でも本気でも、殺してくれと言われれば、
とりあえずとまどうところだろう。

「なんで?」

彼はもそりと聞いた。
そんな事言っちゃだめだよと、諭さないところが彼らしい。
彼のこういう冷たさが、今はとても気持ちいい。

「自分で自分に振り回されるのに疲れたんです。
だからそろそろ殺してください」

あたしは重ねて頼んだ。
しかしもっさいおっさんは、その訴えをまともに取る事なく、

「くすっ」

と、例のほくそ笑むような笑いを見せて、
その場を内股で去ってしまった。
きっと彼の目にはあたしがおもしろかったに違いない。

あたしはこの憤りを日記に、

「この態度は医師としてどうかと思う」

と、記すことにし、様子を見に来た看護師にも、

「寺内先生は他人が鬱だとおもしろいらしく、くすっと笑う」

と、言っておいた。
看護師はそれに反論し、

「まあまあまあ、あれでも寺内先生は関屋さんの事、
とても心配しているんですよ」

と、もっさいおっさんを弁護した。
どこが心配だか。

それからしばらくして、ちょうど外村先生が通りかかり、

「ちょっとお話でもしましょう」

と、言うので話をすることになった。
まったく、この先生はもっさいおっさんとは対照的だ。
きっと患者に親身ないい医師になるだろう。
でも生真面目すぎて、そのうちつぶれてしまいそうな気もする。

生真面目で親身な外村先生の気持ちは嬉しかったが、
彼の話は正直言うと、
新婚で幸せの絶頂にいるあんたには言われたくない
というところだった。

今さっき寺内先生に、殺してくれと頼んでしまったほど、
鬱がこてこてに煮詰まったあたしだ。
どうして人生に希望が持てよう。

この日の夕方から、
あたしは頓服の安定剤を貯め始める事にした。
安定剤はまん中に溝があって、
2つに割れるようになっている。

1回もらうごとにそれを、
売店で買ったペットボトルのお茶のおまけについてきた、
小さな缶に入れて、
テレビ台の下の引き出しの奥深くにしまい込んだ。

看護師によっては、
薬を飲むところをチェックする人もいて、
そういう時はもちろん貯めない。

この日、気分安定剤が1日200ミリグラム、
100ミリグラム錠を朝夕1錠づつから、
1日300ミリグラム、朝100ミリグラム錠1錠、
夕食後200ミリグラム錠1錠に増量となった。

これはあたしがもっさいおっさんに、
殺してくれと言ったからではなく、
薬の血中濃度をじょじょに高めていくためである。
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