第35話 井戸端会議

寺内先生は、あたしから無理矢理
カッターナイフを取り上げる事はしなかった。

「もう切っちゃだめだよ?」

彼はあたしに念を押した。

「うん」

と、あたしはうなずいたが、約束はできなかった。

「じゃあ、薬つけますから処置室行きましょう」

もっさいおっさんはもそりと言って、先に部屋を出た。
あたしも靴をはいて、彼の背中を追いかけた。

それから昼食まで横になってぼんやりと過ごした。
ゆうべの薬がまだ残っていて、
体も意識も半分痺れたような感じだった。

夕方4時頃、斜め向かいのベッドにいる、
右手を吊ったおばちゃんから、ヨーグルトを頂いた。
このおばちゃんは最近入ったばかりだ。

あたしはテレビ台の下の扉に、
バナナを持っていたので、
それを一本お礼に返しておいた。

夕食後、同室のおばちゃんたちと初めて話をした。
ずっとカーテンを閉め切っていたのと、
同室の人間に興味を示さなかったので、
よくわからなかったが、
部屋のメンバーが少々変わっていた。

まず、あたしの隣には昨日から、
よくしゃべる、細身のおばちゃんが入っていて、
やけどの少女のあとには、
前の部屋で入り口そばに寝ていたばあさんが入っていた。

そのばあさんのとなりには、髪を2つに束ねた、
40代くらいの若い、童顔のおばちゃんがいた。
窓際の歌の娘も近く手術のため、
部屋を移動になるらしい。

最初からいたのは、あたしと、
アトピーのおばちゃんと、向かいのばあさんの3人だ。

井戸端会議の発端は、
あたしがお茶を入れるのに使っている、
フタ付き中国茶器だった。

童顔のおばちゃんが、
すごく高そうだと言ったのをきっかけに、
どこで入手したのかなどを話しているうち、
同室の人達が集まって、
いつの間にか井戸端会議になっていた。

井戸端会議は例の如く、入り口付近で行なわれた。
それから、あたしがずっと鬱だったことなど、
どんな理由で入院しているのかなどを話した。

そこへ、ぺたぺたという足音がして、
寺内先生が内股でやって来た。
どうやら帰る前に様子を見に来たようだった。

彼はアトピーのおばちゃんと
一時帰宅について少し話し、
それからあたしに向かって、

「くすっ」

と、例のほくそ笑むような笑いを投げかけたので、
それに対抗すべく、
ベッドの上にあったデジカメを構えると、

「だめだめ!」

恥ずかしげに言って、部屋を走り出た。
「待てコラア!!」

あたしは思わずそれを追いかけ、
彼がナースステーションに
逃げ込むところまで走ってしまった。

部屋に戻ってもまだ息があがっていた。
あたしはおばちゃんたちの笑い声に迎えられた。

「あの先生、内股でぺたぺたと歩いて、
なんかいいとこの坊ちゃんぽいね」

アトピーのおばちゃんが、
もっさいおっさんについてそう評価した。
それからまたしばらく井戸端会議は続いた。
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