第31話 幻聴

この日は月曜なので、女性患者入浴日だった。
あたしは昼食後すぐに風呂に入って、横になった。
母は仕事で来ない予定だ。
何をするでもなく、ただぼんやりとしていると、
薄い緑色のカーテンの外から
同室の人達の雑談をする声が聞こえて来た。

あたしはあまり同室の人達と話をしない。
鬱な時はもちろん、普段から
ひとりで静かに過ごす方が好きだからである。

話をしたといえば、せいぜい歌の娘の隣の、
重度のアトピー患者のおばちゃんくらいだ。

このおばちゃんは、主治医が1号2号共に同じで、
アトピーという共通項がある。
他に話すのは、別の部屋の
似た病気のおばちゃんくらいだ。

同室の人達の雑談は、カーテンのすぐ外、
つまり部屋の入り口付近で
行なわれているようだった。
向かいのベッドの老人の声が聞こえた。

この老人は少し痴呆が始まっているのだろうか、
同じ話を何度も繰り返していて、
ちっとも話が進んでいない。
しかも決まって大きな声で話す。
だから彼女の話し声を聞くと、
いつもいらいらさせられてしまう。

しかし、今日は珍しく声をひそめていた。
「...あそこのベッドの学生さんみたいな若い子、
ずっとカーテン閉め切って、
部屋の誰とも口を聞かないのに、
看護師さんたちや先生には馴れ馴れしい口聞くのね。
あの子、あたしとすれ違っても挨拶ひとつしないのよ...!」

...これはひょっとしてあたしの事か!?
この老人はあたしの事をそんな風に思っていたのか!?
そして、それをあたしに直接言うならともかく、
本人の聞こえるところでみんなに言うなんて!!

とてもショックだった。
当然ながら昨日より更に深い鬱に落ち込んだ。
あたしはカーテンの中でひととおり泣くと、
出かける支度をして地下に降りた。
まだ売店が開いている...。

あたしは寸分も迷う事なく、
カッターナイフだけを買い、部屋に戻り、
それを乱雑に開封して、
5センチほど刃をくり出した。

やはりあたしは
この世に存在してはならぬ存在なのだ!!

死ね。

部屋に戻る途中にすれ違った
全ての人がそう言っていた。
無数の誹謗中傷が、
高く厚みを持った、黒い壁を作って、
あたしをその中に塗り固めた。

殺せ。

あたしの心にいくつもの声が流れ込んで、
何度も何度もこだまする。

殺せ。
殺せ。
殺せ。

心の声に背中を押されて、
あたしはカッターナイフの刃を
左手首に押し当てた。
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