第12話 ヘンなおじさん

「はじめまして、僕は精神科の丸山といいます」
その中年男性医師はあたしに
胸のIDカードを見せながら、
にこやかに自己紹介した。

この病院はなぜか若めの先生が多く、
ひげの教授やこの丸山先生のような中年の先生は珍しい。
「よく眠れないって
ゆうべの当直の先生から聞いてるけど...」
丸山先生は、丸みのある穏やかな口調で話を切り出した。
あたしは環境の変化や
周りの音や光などで眠れない事を話した。

それからは入院までのいきさつ、
現在の心境、あたしを取り巻く状況や環境
などについていろいろ聞かれ、
それに答えるという感じだった。

口ではうまく言えない部分もあり、
こう言う時、例のホワイトボードが役に立った。
診察を終えた時、丸山先生は、
「忙しくて僕が来られない時は、
僕の仲間がやって来ますのでよろしくね」
と、言って持って来た折り畳み椅子を畳んで、
ファイルと一緒に抱えて部屋を出て行った。
...丸山先生、なんか変だ!

この日は女性患者入浴日で、
午後から風呂に入る事ができた。
風呂とは言っても、浴槽にいちいち
湯を張るのは面倒なのでシャワーだけだ。

風呂のあとベッドで寺内先生に例のごとくさわさわと、
痴漢チックに薬つけをしてもらった。
この時、彼はやはり例のもそもそとした口調で、
「経過は順調」
と、言った。
寺内先生は、白いプラスチックのかごに入った
軟膏セットをベッドテーブルの上に置きっぱなしにして、
内股でぺたぺたと去っていった。

寺内先生てほんと、いつ会っても「もっさいおっさん」だ。
彼の何が「もっさい」のかと言うと、
まずその体つきが男性にしてはいやに丸みが強いことだ。
腹がぱつぱつしているだけならともかく、
首や肩、腕、果ては指先まで丸々している。

そこへ裾広がりな白衣を着る事で、
その丸い体がさらに膨張して見えるのだ。
しかも、背がムダにでかいのもその要因のひとつと言える。
髪の毛が多く、ぼさぼさしているのも、
「もっさい」感じを強調している。

しかし、何と言っても決定的なのはひげだ。
ひげの先生みたいに手入れしてるのならともかく、
もう何日も剃ってなさそうだ。
もっさい事この上ない。

何をするでもなく、
かといって退屈するでもなく、ただ横になっていると、
「関屋さん」
と、年配の女性看護師がカーテンをそっと開けた。
あたしははいと返事をして起き上がった。
すると、彼女は衝撃的な発言をした。

「女性部屋が空きますから、
明日の午後部屋を引っ越ししましょう。
ここよりは静かなところですよ」
あたしがまたはいと返事をして、
「あのう、これ...」
と、ベッドテーブルの軟膏セットの事を言った。

すると彼女は、
「もう、寺内先生は!」
と、呆れながらそれを回収し、
「それじゃよろしくお願いします」
と、去って行った。

...部屋を変わる。
つまり、また環境がかわるという事だ。
これは入院が決定した時と同じくらいショックかも。
しかも女性部屋。
ここより人間関係がうるさそうだ。
あたしの中をいろいろな不安がぐるぐると回った。
そしてまた何をするでもなく、
ぼんやりと天井を眺めて時間を過ごした。

夕食からペースト食になった。
ペースト食とはその名の通り、
おかゆもおかずも全てがペースト状になっている。
あたしもとうとうここまで落ちたかと、
それを見た時ちょっと鬱になったものの、
いざ食べてみるとこれがなかなかいける。

おかゆにはおかゆそのもののペーストと、
それを薄めるための重湯、
固くするための特殊な粉がついている。
あたしは重湯と、昨日売店で買ったゆかりを混ぜて食べる。
ゆかりは粒が小さくてふやけるので、
あまり量を入れなければ食べられる。

おかずは全てが素材の違うポタージュといった感じだった。
ただ、魚の身の繊維だけは食べられず残してしまった。
今夜、入院して初めて食事らしい食事をした気がする。

夕食後、しばらくしてトイレに立った時、
点滴がやけに痛い事に気が付き、
その足でナースステーションに寄って、
その旨を知らせた。

病室で横になって待っていると、
看護師と寺内先生がやって来た。
寺内先生は内股でぺたぺたと歩いて、
のそっとあたしに近付いて、
点滴をしているその腕を、
例の手つきでさわさわと触ると、
「あー、こりゃ点滴漏れてるなあ。これからさしかえ!」
と、もそりと言った。
ふおお...!!
あの苦痛が再び!?
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