第十話 勝ちゃん

電話の相手を一瞬東子かと思ったが、彼女ではなかった。
彼女の声に似てはいるが、違う人の声だ。
声の主は続けた。

「東子の母です」

なるほど、どうりで声が似ている訳だ。

「あの、東子さんの友達の南と申しますが、東子さんをお願いします」

相手が東子の母親かと思うと、ちょっと緊張してしまった。

「ああ…『勝ちゃん』ね!東子がいろいろお世話に…」

そうか、東子は俺の事を「勝ちゃん」と登録していたな。
それにしても彼女の家族の間でも俺が「勝ちゃん」で通じているとは。
…すごく嬉しい。

しかし。

「それが…大変言いにくいんですけど、東子は先日亡くなりまして…」

東子の母は消え入りそうな声で言った。

「えっ!」

やっぱり「黒田 東子」は東子だったのか…!

「そうですか、それは…。
あの、それでお花とお線香を差し上げに伺いたいのですが…」

「ありがとうございます、近く通夜がありますのでぜひおいでください。
東子も喜びますので」

東子の母は、丁寧に日時と行き方を教えてくれた。


東子が死んだ…。
信じたくはないが、彼女のとよく似た声を持つ「母親」が
具体的に通夜の日時と場所まで言うからには本当の事なのだ。

朝の駅を埋める、暗い色のスーツを着た男たちを中心とした雑踏が、
大きな黒い波となって俺の心で壊れる。

俺の前ではあんなに明るかった東子がどうして急に自殺なんかしたのだろう。
一体何をそんなに悩んでいたのだろう。
少なくとも俺には言えない悩みだったのだろうな。

黒い波は淋しさを含んでより大きくなっていく…。


当日、俺は仕事を早退して東子の通夜に行った。
斎場への道で桜の木を何本も見た。
東子の通夜だというのに、見事な満開なのがむかつく。
今日明日にでも全て散ってしまえばいいのに。

会場では東子の両親が迎えてくれ、
俺の事を東子が話していた通りの人だと言った。
「マコト」も来ていたが、目礼を交わしただけで話をする事はなかった。

俺は仏前に花と線香を供えた。
長い祈りになってしまった。


東子にあげたかったのはこんな物じゃなかった。
彼女にあげたかったのは…。

もっと色とりどりの鮮やかな花束。

新しいハンドバッグ。
ブランド品でなくとも長く長く使えるものがいい。

二本の指輪。
一本はダイヤ付きで、
もう一本は内側にサファイヤが一つ埋め込まれたプラチナがいい。

彼女が乗るなら自動車も贈ろう。
スーパーカーはさすがに無理だけど。

長いローンが必要だけど、家だって。
俺、頑張るから。


東子の両親の強い勧めで、俺は彼女の告別式にも出席した。
俺は東子が煙と灰と白っぽい破片に分かれるのを見た。
彼女は「はるこ」の名の通り、春に生まれて。
春に俺と出会って。
春に…。


告別式は昼下がりに解散した。
俺は香典返しをもらって斎場を出た。

斎場の門のところに見覚えのある男が立っていた。
「マコト」だ。
誰かを待っているらしい。
「マコト」は、俺を見つけるとつかつかと歩み寄って来た。

「あの…南さんですよね?」
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