第22話 男の真価

 そう言って、激しく泣く河村さんの背中を、稲村くんが押した。
 「行こう」
 「......」
 河村さんは、何も言わず、ただ泣いているだけだった。
 「外へ出よう」
 彼女は、稲村くんに押されるように、部屋を出て行った。
 まとめた荷物が重そうだった。
 稲村くんの表情は毅然としていた。
 俺は、何も言わず、何もせず、その場に立ち尽くしているだけだった。
 こう言う時、男の真価ってのが問われるのだろうと俺は思った。
 今夜、彼は彼女の中で男を上げたと思った。
 河村さんと稲村くんが出て行って、それからしばらくして、俺も帰ることにした。
 帰り道、俺はひとり考えていた。
 河村さんが解雇される理由。
 今頃交わされているであろう、彼女と稲村くんの会話。
 彼は、彼女に一体何を話す事があると言うのだろう。
 そんな事を考えると、また、後悔が俺を襲った。
 俺のために泣いた人が泣いているのに、どうして俺は何もしなかったのか。
 どうして、俺はこんなに勇気がないのだろうか。
 どうして、俺は。
 自分の感情を、素直に出すことができないのだろうか。
 そして、俺は気が付いてしまった。
 彼女がいなくなるという事に。

 翌朝も、河村さんは出社した。
 まだ辞めるまで3日くらいあるという。
 河村さんは、いつもポットや食器を朝掃除のときに洗っていた。
 でも、この日は始業時間ぎりぎりに出社してきた。
 彼女らしくなかった。
 そして、仕事が始まると、彼女は藤原さんとミーティング用の机で何か話していた。
 仕事の引き継ぎについてらしかった。
 そういえば、彼女は現在、今週までに仕上げなければいけない仕事を複数抱えていた。
 彼女は、やりかけの仕事はやると言ったが、手をつけていない仕事は丸投げするつもりのようだ。
 まあ、それも当然だろう。
 彼女も解雇が決まったというのに、一生懸命仕事するほどバカじゃないって事だ。
 彼女は、その日朝からずっとぼんやりしていて、仕事にはほとんど手がついていなかった。
 かと思うと、突然泣き出したり、またあの時と同じ不安定な状態だった。
 
 昼休み、いつも一緒だった富家さんもいなくなり、河村さんはひとりミーティング用の机で弁当を食べていた。
 牧村さんも、いつものように自分の机で弁当を食べていた。
 俺は、納期の近い仕事があるので、昼休み返上で仕事をしていた。
 ほかの人たちは、お昼を買いに出たり、食べに行ったりして、部屋には俺たち3人しかいなかった。
 「...牧村さん、牧村さんのサイトにはこれからも行きますね」
 河村さんが口を開いた。
 「うん...」
 牧村さんはそう言ってまた口を動かした。
 河村さんはしばらく黙り込んで、また言った。
 「...酒井さん。連絡先の一覧表にある、酒井さんのメールアドレス、生きてます?」
 どういう事だろう。
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