第12話 Mixed

 驚いた。
 あの河村さんにも泣く事があるとは。
 さっきまで泣いていた鮎川さんが、彼女に声をかけた。
 「どうしたの?なんで泣いてるの?」
 鮎川さんは、もう泣いていなかった。
 「...鮎川さんこそ」
 河村さんは、涙声で聞き返した。
 「あたしは、社長が手をさすっているのを見て、痛かったんだなあと思うと、ついもらい泣きしちゃって...。河村さんは?」
 「......」
 河村さんは、泣きながら、無言で俺の方を向いた。
 まさか。
 俺の事で?
 俺の事でこんなに泣いている訳?
 「殴られた本人はけろっとしてるのに、殴られてもいないわたしがどうして、こんなに泣いてるんだろうね」
 彼女は、泣き笑いしながら、鮎川さんに言った。
 「酒井さんだって、なんとも思ってないわけじゃないよ、きっと」
 そうだ。
 俺だって、なんとも思ってないわけない。
 本当は俺が泣きたいところなのに。
 いいよな、女は。
 こういう時、素直に泣けて。

 河村さんは、その後しばらく泣き続けた。
 彼女自身でも止められないらしかった。
 俺は、そんな彼女に声をかけることもなかった。
 正直、俺は困っていた。
 彼女は、そういう俺の事を冷たい男だと思ったに違いない。
 俺は、何事もなかったかのように、仕事を続けたが、内心穏やかではなかった。
 これが穏やかでいられるだろうか。
 社長に殴られた事。
 その俺の事で河村さんが泣いていること。
 まあ、社長は激しやすいから、こういう事があってもちっともおかしくない。
 問題は河村さんだ。
 俺の前では、硬い表情しか見せなかった彼女が、人目をはばからず、ぼろぼろと泣くとは。
 彼女に、あんな激しい一面があったとは。
 それも、俺の事でってのはどういう事だろう。
 でも、「自分のために泣いてくれる女」か。
 悪い気はしない。
 俺の中で、いろんな気持ちが一度に増殖して膨れ上がり、ぐるぐるとかき回されて、複雑になっていった。
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